高野山ひとり旅の独り言(第一回)

高野山ひとり旅の独り言
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こんにちは。こちらは高野山の情報サイトですが、なんか独り言も呟きたいな・・・と思い「高野山ひとり旅の独り言」なるコーナーを作ってみました。ただただ、私が気ままに、好きなこと書くだけでございます。悪しからず。

さて、第一回は、GWも残ることあと一日となりました令和元年こどもの日でございます。

新しい元号に変わり、心機一転、継続してなにか始めたいな・・・・と思いながらすでに5日が経ってしまいびっくりしているところです。もう、三日坊主どころの話じゃ無い。

まあ、そんなことはさておき。私が最近考えること、というか昔から考えるのが好きだったこと、「宗教」。高野山が大好きになって最近はよく密教なんかについて本を読んだりすることが多いのですが、振り返るとそれ以前はキリスト教に興味を持っていた時期が長かったです。小学生時代は神話の本をよく読んでいたし、中学生の時は親に「誕生日に聖書買って」とお願いして困らせたり、高校生時代はあまり記憶はない・・・大学生ではキリスト教とフランス文学に関する卒論を書いたり。そして今は仏教や密教。とにかくずっと興味を持ち続けている「宗教」についてちょっと考えたいなぁと思います。

人って、宗教がなかったらどうなるんでしょうか?

一番に思い浮かぶことは「救い」がないんじゃないかなってこと。

人が神や仏にすがりたくなる時って、苦しくて、どうにもならなくて、それでもどうにかならないかって「何か」に救いを求めたくなる。でももし、その時、その「何か」がなかったら、人ってどうなるのでしょう。

人の力ではどうにもならなくなった時、何にも救いを求めることができなかったら、人は絶望する。

人を絶望させないために、人を絶望の淵から救うため、人を絶望の中から引き上げるため、「宗教」は欠かせないのかなぁと。

救い方は宗教によって様々かもしれないけど、全ての宗教の目指すべきところは「救い」なのではないかと思います。

「そんなん今頃気づいたか!」って言われそうですが(笑)

本当に、宗教って大切だし、人が生きていく上でなくてはならないものだと。普段は意識せずとも、何かピンチの時って「神様、お願い!」みたいなとこありますよね。

だからこそ全世界に宗教が存在する。でも本当に、それぞれの宗教の開祖となられる方、すごくないですか?めっちゃ凄い!!!そして、一体宗教はいつから誕生したんだろう。ヨーロッパではキリスト誕生以前はなんの信仰もなかったのか、お釈迦様って正直いつの時代の人なのか、もう、分からないことだらけ(笑)宗教に興味あるくせに、深く知らない私。もっと勉強して皆さんにアウトプットしていきたい!と思ってます。

スリランカでは教会などで多数の爆破事件が起きました。宗教って、人に深く寄り添ってる分、すごく恐ろしい武器にもなる。宗教を利用して救いを求める人々を絶望に陥れる非情さ。

人を救うはずの宗教が、いつの時代も争いを引き起こす。なぜそうなるんでしょう?「救う」ための宗教なのに。なんだか考えると悲しくなってきました。解釈、が大事なのでしょうね、きっと。間違った解釈が、同じ宗教同士の対立を生み、新たな宗派が生まれ、そしてまたその中で同じことが繰り返される。そもそも正しい解釈が分からないんでしょうね。開祖様がずーーーーーーーっと生きられて、「いやいや、それ、その解釈違うから」ってご助言し続けることができればいいんでしょうけど。そんなん無理な話。

だからこそ、宗教家の方って、責任重大ですよ、ほんと。

迷える方を、正しい道へ救ってあげてください。利用しないでください。

なんだかまとまらないけど、第一回終了。

こんな感じで、また書きます、毎回まとまらない感じです、多分(笑)。

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